michiko blog

ATELIER PEARLROSE

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Christmas Wreath

近所に小さなフラワーショップが誕生しました。
人工的な装飾がない、有機的な流れを生かしたリースに惹かれました。
もう少し華やかに…と要素や行為を加えてしまうと、
植物本来の造形的な魅力は失われてしまうでしょう。
作者の植物を愛する眼差しで、手数を最小限にした気持ちが伝わりました。

[nona]
http://www.nona-web.com

Christmas wreath

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  1. 2014/12/13(土) 11:32:05|
  2. 全体

スタッフに関して

今回は、新しい私のスタッフをご紹介したいと思います。
彼女は、今年2月から開始した私の工房レッスンの受講生で
これからスタッフとしての関係も持つ方です。

彼女の夢は、キャンドルアーティスト…私との出会いはそれがきっかけです。
これから沢山のものを自身の手で生み出したい彼女は、
キャンドルにまつわるテクニックやその趣向を学んでゆくでしょう…
ただ、私が引き出したいのは、彼女が作り出す何かよりもまずは、
内在する個性をいかに引き出すか…
それが、最も彼女にとって心地よく持続可能出来る表現だと感じます。

現在では、経験の差はありますがキャンドルアーティストが多くいます。
中には、各自が憧れるアーティストの作風や作品、生き様までも
模倣する方や、模倣をそのまま公の場に発表する方もみかけます。

このような、その場限りのエスケープでは、観る側に偽りを与えますし、
本人がその仕事に対して、真の達成感を得ることは難しいでしょう。

アーティストという職業に、もし資格があるのでしたら、まずは自身に
正直であることが、(皮肉にも…強制的に)必須になるでしょう。


私はこれから出産そして育児の為に、今後はますますスタッフが必要に
なります。今迄お手伝い頂いている方は、アーティスト志望に関わりなく、
教室で出会った、立場を越えた親しい友人の関係です。

そのように何でも正直になれる関係で、お互いの差異の確認作業から
交流を深め、より楽しく新しい表現に繋げられるのなら、
こんな充実したことはないでしょう。
これから彼女とは、そのようなワクワクした楽しみを持ちながら、
そして、これから出会いうるスタッフも含め、
輪が大きく広がって行ければと願っています。

現在、彼女の初個展が開催されていますので、どうぞお立ち寄り下さい。
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河野晴子個展
光の夢「NOBUKO KONO CANDLE」展
日時: 2007.12.2(sun)~8(sat) 13:00_19:00
会場:ギャラリートウキョウジョー
東京都世田谷区北沢京下北沢南ビル3F
tel 03-3418-4007
期間中、ワークショップの開催を予定、
詳細、ご予約に関しましてはギャラリートウキョウジョーまで

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テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/12/03(月) 18:00:00|
  2. 全体

「真実」について(3)

続きもののエッセイです。
初めてお読み頂く方は(1)から読んで下されば幸いです。
では、「芸術(表現)上の真実」の答えは、以下の通りになります。

-------------------------------------------------------------------------
タイトル:「Portrait」
発表時期:1994年12月
素材:鏡 絵画用額縁(ゴールド)10F号 
設定:平面作品 天井からの吊り下げ
-------------------------------------------------------------------------

コンセプト------------------------

絶対的な真実はない、という事が真実です。
それぞれの持っている真実はみな違うばかりか、
その人自身のもっている真実さえも、流れと共にかわってくるものです。

ある芸術作品を観た時、観る側それぞれが違った感想が出てきますが、
それらはみな真実であって、自然な状態です。
言い換えると、この世の中には主観のみがあり、
客観は存在してはいないという事です。
現実は主観が入り交じり、交差しあった混沌とした状態であり、
それがもともとの自然な状態だと感じます。
どんなに知識を詰め込んでも、伝説的偉業を成し遂げ、
また発見、表現してもそれはひとつの想念という事になるでしょう。
これはどのような学問の分野に於いても、
最終的な決断はその人の感覚という事になります。
当然のことながら、私がこちらで断定して述べている事も、
私の(過去に感じた)ひとつの主観でしかありません。
これを読む方は、自由に解釈し、批判し、受け取って頂いていいのです。

常にそれらの変化に、出来るだけ忠実に再現出来る素材が鏡だったのです。
残念ながら作品に使用した鏡を含め、現在の一般的に使用されている鏡は
左右反対に映ってしまいますので、
完璧にコンセプトを反映した作品にはなれませんでした。
ただ、その作品(鏡)は、観る相手、展示される場所、時間に対して
出来るだけ対応しようとするもので、
これ以上の無い真実に近づこうとした結果です。


結果------------------------

発表した設定は、10人程度の彫刻家や画家、陶芸家など
若い芸術家からなるグループ展。
知人の誘いをきっかけに、既にコンセプトがまとまっていた私は、
業者に発注をし、一度も私の手を汚す事無く、数日後には作品が完成しました。

展示会中のある日、遠くから、私の作品と入場者を暫く眺めましたら
直ぐに頭の中で反省会が始まりました。
私の作品の前には、誰一人、立ち止まり観て下さる方がいなかったのです。

理由は幾つか挙げられ、簡単に要約すると、
人は真実を知ろうとしないという事
作品に造形的な魅力が少々欠けていた事、でしょうか。

20世紀の古い芸術になりますが、
マルセル・ジュシャンの「泉」(どこにでもある小便器にタイトルを付け
サインを記し、1917年、芸術作品として発表した)のように、
どこにでもある素材を使用した私の「鏡」の中にも
サインを入れて、少しでも作者の温もりを入れても良かったでしょうし、
更に、多少、制作に汗をかいても良かった。
しかし、作品コンセプトの「芸術(表現)上の真実」の答えは、
矛盾してはいないと感じますから、
真実というどこにでも内在している性格を、
造形的な楽しさでもう少しオブラートで包み、
まずは観る側に興味を抱かせることも必要だったかもしれません。

その後も、芸術上の表現方法や、人間の未来の価値観に対しての
未発表作品含めて2作品制作しましたが、最後の作品で
現在のワックス素材に巡り会いました。
また、いつかこの未発表作品の事を綴りたいと思います。


テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/11/03(土) 12:00:00|
  2. 全体

「真実」について(2)

お久しぶりです、笹本道子です。
続きもののエッセイでしたのに、すっかり間を空けてしまいました。
言い訳をふたつ挙げれば、
私は、仕事やプライベートも含めて個々に頂くメールを
最優先に対応する主義の上に、十数年前の「真実について」の
私の作品の書類が残っていない事も手伝い、
ブログ更新が疎かになってしまいました。

さて、前回の「真実」について(1)では、
ブログという落ち着かないメディア上を意識するあまり、
サラッと読める簡略化しすぎた内容になってしまいましたから
改めて、もう少し掘り下げてみたいと思います。

大森荘蔵による「真実の百面相」という随筆の通り、
こうなければならないという固定化された真実は無いという事自体を
一つの答えとして断定することはとても難しいように思えます。
これを芸術分野で表現する事から、「芸術(表現)上の真実」
テーマを絞り改めて、その答えを探ってみます。

そもそも(動機にあたる)真実自体の魅力とは何でしょうか。
実態が見えない存在ですが、『真実を追求する「行為」』で考えてみると…
なんの混じり気も濁りもない唯一無二を追求する行為は、
最も人間らしく、芸術文化に貢献出来る行為のように感じます。
なぜなら、その定義がみえた時、その先には、
あらゆる日常の混沌と細々とした事物や現象が、
人間の認識上の新しい見方として、理解し易い存在になると信じたからです。

…一時的な流行や短絡的な発想を生み出す事も追いかける事にも
なんの魅力も感じませんし、その様子は忙しく哀れにさえ思える…

どうせでしたら、1日でも永遠の存在…その核に触れたい、
それが「もっとも人間らしい個性であり、刺激的な美」だと感じ
それには、芸術の視点から探った「真実」の追求が不可欠です。
目に見えないエリア(心理的理論の要素)を大切に表現する芸術では、
もうこれ以上還元出来ないひとつの真実を述べられる絶好の場です。

当時のこのような精神を、気の合い始めた方に述べると…
「私も昔は考えていました」などとよくある
純粋な頃の青春の1頁だと勘違いされるか、
「まだ自分の表現方法や方向性に迷っているのでは?」などと
一括りにした「学生レベルの悩み」だと誤解されることもあります。

このような方々は、自身で感じ、考え、体験しているにも関わらず、
他人の行為をなぞっているだけで、
本当に体験している状態とはほど遠いでしょう。
付け加え例えると、
土の中に埋まっている黄金の上を何度行き来しても、
それを探そうとしない限り、永遠に見つける事が出来ない、とも言えます。

真に追求する表現者は、思考の深度に限りはなく、
偏見や観念を持ち合わせていないものです。

しかしこういった「卓上の理論」を、具現化した作品に還元出来ず、
いつまでも持ち続ける事はとても危険です。
なぜなら、その表現内容によって決定的に威力を発揮する時は限られており、
その判断を誤ると、他人に理解されないばかりか、
私自身の心身にとっても不健康です。

では、やっと前回の続き、答えを述べる時がきましたが、
しかし今回はここ迄にしましょう。
これからがやっと本題、まだまだ長文が続きますから、
今度こそ、近日続きを更新したいと思います。

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/11/02(金) 18:00:00|
  2. 全体

「真実」について(1)

初めて私が哲学に触れた時は、高校1年の時の教科書「国語1」の中の
哲学者、大森荘蔵による随筆「真実の百面相」です。

教科書には、
有名小説の一部分の抜粋や、古文、漢文といった過去のものが多く載る中、
同じ時代を生きている方による人間洞察の随筆は、
まさに高校生の国語の教科書で読むべき内容だと思えます。

その内容は、
「真実は常に変容し、様々な姿になって人それぞれの目に現れる。
たとえ、真実が固定されたものと仮定しても、
それは人それぞれの見方により、真実が分散されるが、
それら全てが真実であり、百面相の1面である」
という。

そして、
芥川龍之介の小説「薮の中」をあげて、「一つの事件の当事者
それぞれが違った証言をした事は、むしろ常態である」と。
この事から、「薮の中」のタイトルの上には、
「真実は」が隠されている
事に気づきます。

当時の私は、
それまで、「真実」を始め「正体」「本当」「正真正銘」と
言った事柄や常態は、たった一つしかないと思っていましたから、
とても破壊的な考えの印象でした。
その反面、新しい考えによって、自由を得たような開放感があり、
ずっとその内容だけが忘れられなかった…(作者の名前は知らずに)

しかし、
私は小さい頃から、漠然と何らかの表現に携わりたいと思っていましたから、
表現作品は、(一時的としても)一つの答えを出さなければなりません。
たとえ、その答えが観る人によって変容されると分かっていても。
ですから、全てを包括した「真実の百面相」を、
一つの定義(形体)にするにはどういった素材や表現方法が良いのか…
また、分かり易く、伝えられるのか…と
20代前後はその事ばかりを考えていました。

そして、
その(私独自の)答えは直ぐに見つかりました。
コンテンポラリーアートとして、私の第1作目となった作品。
その作品形体と結末を、次回、皆様にご紹介したいと思います。近いうちに。

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/05/17(木) 00:00:00|
  2. 全体
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プロフィール

笹本道子

ワックス・キャンドル アーティスト
笹本道子

公式ホームページ:
http://www.pearlrose.com

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